踊りについて

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由来

『こりゃ面白い』と踊り出した

徳川は八代将軍吉宗公の享保年間に、木屋瀬宿の洒落た人達が、お伊勢参りのお土産に、伊勢音頭を覚え帰り、それを町民に流行らせたのが始まりです。
その頃の木屋瀬は筑前六宿と筑前内宿の追分宿で、黒田の殿様をはじめ、有馬・立花・鍋島・細川・島津と、九州諸国の大名方や、長崎奉行、オランダ甲比丹も、総て訪れたり、宿泊されたりしていました。
その度に、大名行列の荷物を取りに行く為に各集落から加勢人を集めていました。木屋瀬の宿場が、大変賑わっていたそうです。
この踊りは、大名行列供奴(ともやっこ)のしぐさや木屋瀬で日常みられる色々な仕草を取り入れて、掛け声「イサ、アトセイッ、ソッ」に合わせて踊り始めたのが木屋瀬宿場踊りの始まりです。 

歴史

筑前六宿の一つに木屋瀬があります。

江戸時代に全国で街道や宿場が整備され、全国に街道は約500ヶ所あり、その中でも主な街道は30ヶ所あったそうです。九州では街道は約60ヶ所あり、主な街道は8ヶ所あったそうです。
その中の一つに長崎街道がありました。
この街道は、小倉の常盤橋から長崎の思案橋まで57里(223キロ)の街道で25宿の宿場があり、小倉から長崎までの所要時間は当時一週間かかったそうです。この長崎街道に、黒田藩の領土で六つの宿場があり(黒崎・木屋瀬・飯塚・内野・山家・原田)これを筑前六宿と言い、その中の一つに木屋瀬があります。

 

踊りの手

男性が主になった踊りで全国的にも珍しい踊りです。

しあんばし(なみ手)

男性には七つの形があり、これを鼻どり(掛け声えを掛ける者)がランダムに声を掛け踊るのが最大の特徴で、男性が主になった踊りで全国的にも珍しい踊りです。
女性は一つの形を優雅に踊ります。

【七手の形は】

次郎左(みやこ)

当時木屋瀬に、たくさんの鶴が飛来していました。その時の鶴の求愛の姿を見て作られた踊りです。
 
と大きく2つに分けられ、踊る順序は、『なみ手』『みやこ』『なみ手』の順に踊ります。

お天気(おてんき)

おてんき

お天気の様子をうかがう姿を表現しています。 

姫女(ひめじょ)

ひめじょ

女性の歩く姿を真似した姿を表現しています。

三番叟(さんばそう)

さんばそう

能や歌舞伎の三番叟を真似た姿を表現しています。  

弥次郎兵衛(やじろうべい)

やじろべい

その鍛冶屋が大名行列の奴の仕草を真似た姿を表現しています。 

水棹(みざお)

みざを

船頭が棹を使って船を漕ぐ様子を真似た姿を表現しています。

投網(とあみ)

とあみ

網を巻き、魚を捕る姿を表現しています。

後ろ(うしろ)

うしろ

踊りの際に観客の女性を見る為、おどけて後ろを振り向く姿を表現しています。