木屋瀬祇園

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木屋瀬祇園の由来と伝統

木屋瀬の一年は祇園で始まり祇園で終わる

須賀神社の前身である祇園社がここ木屋瀬の地に鎮座されたのは、室町時代 永享年間と伝えられています。 以来 五百七十年余の永きに渡り今日に至っております。
江戸時代より岩山笠に太鼓を乗せ打ち鳴らした音色は今でも受け継がれているのが木屋瀬祇園太鼓ですが、この音色は黒田藩の陣太鼓に習ったもので勇ましく、戦の時の退却を意味する鐘の音を鳴らすことは、ここ木屋瀬ではご法度とされ、山笠を後退させる事が出来ません。
(昔のことわざ 物事がオジャンになる事のジャンは鐘を意味する)
須賀神社に祀られている神様(須佐之男命)は荒神様で荒くすると喜ばれると言うことから木屋瀬の山笠の巡行は荒く激しく勢い良く曳き回すのが慣わしです。また、山笠の表と見送りに采振り(ざいふり)(戦の時大将が采配を振るう采と同じ意味を持つ)が、あがり山笠の動きの采配を振るのも采振りの腕の見せ所です。
大正時代に電線の普及が広がり、現在の屋台型の山車にかわり今もその伝統が町民に広く受け継がれています。            
祇園初日の夜、神社に山笠を勢いよく走り入れ、古式に則り氏神様に初めて山笠の表と見送りを見せお払いを受ける事を( 奉納 )と言います。その後、夜山へと出て行きます。

 二日目の夜、祭りの最後に神社へ山笠を激しく荒々しく走り入れる事を( 宮入り )と言い、これでその年の祇園祭りが終わります。
また、翌日から次の当番町が祇園に向けての用意を始めて行きます。
このことから木屋瀬の一年は祇園で始まり祇園で終わると言う事が、ここ木屋瀬での風習です。

中町 本松氏資料参照

木屋瀬祇園の特色

木屋瀬全町民あげてのお祭り

全町民あげてのお祭りで、本町六町(赤山)新町七町(青山)二基の山笠があり赤山は六年に一度、青山は七年に一度当番町が回って来ます。当番町の年は当日の朝、山笠を預かり当番町の山笠として神社に奉納し翌日宮入を行います。他町民(11町内)は加勢人として双方の山笠の運行を手伝い見事な奉納、宮入が出来るように勤めます。その為、ここ木屋瀬が他の祇園祭りと大きく違うのが当番町の町民が祇園祭り二日間、朝、昼、晩と加勢人の接待を賄います。一日中山笠が何処かの町を巡行しているか当番事務所で接待を受けているか祭り初日ハッピを着て家を出ると祭りの間、参加者全員自宅で食事を取ることなく、祇園祭り一色で町民が一丸となって行う祭りです。
また、祇園祭り翌日からは次の年の当番町が一年掛けて準備に入りますが、当番町は加勢人(200人)の接待を賄うのに、かなりの費用がかかる為、当番町が終わった翌月からまた次回の当番に向け少しづつ積み立てを行い備えて行きます。
 (世帯数の少ない町内は20世帯位で、多い町でも100世帯)
このような風習はここ木屋瀬ならではの特色です。

赤山笠 ) 本町六町
   本町、中町、下町、新地町、真名子、東中町
青山笠 ) 新町七町
   新町、改盛町、感田町、中央町、日の出町、中道、芝原

 
集団山見せ
追い山 その1
追い山 その2
奉納 その1
奉納 その2
宮入 その1
宮入 その2